塩原良和

2010/7/4by tuno
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塩原良和(しおばら よしかず)

<プロフィール>
 自分の特徴を一言で表すとするなら「ふつう」だと思います。東京のベッドタウンと呼ばれる何の変哲もない住宅地で育って、ごく普通に学校に進んで大人になった、「ふつう」の人。けれども面白いことに、僕の周囲にはいつも「ふつうじゃない」才能や感覚や信念をもった人がたくさんいたように思います。そういう人々に囲まれていると、「ふつう」であることも、実は個性のひとつだということになるのでしょう。

<ひとこと>
僕はごく平凡な芸術的感性の持ち主で、センスの良い場所にいるのは苦手です。なので三田の家もきっと性に合わないだろうと思っていたのですが、実際に訪れてみるとそこは変に気取ったところがなく、とてもシンプルで快適な空間でした。

僕はいつもせかせかと動いていて、ひとつのところに留まり続けるのが苦手です。でも、ひとつの場所に留まる術を知ることは、現代を生きるうえで必須のことだと思います。立ち止まったことのある人ならわかると思うのですが、立ち止まることは、実はとても勇気のいることです。でも素早く動く力と同様、留まり続ける強さというのも、この世界を生きるために不可欠な要素です。三田の家のようなスローな空間は、僕たちがそのようなことを学ぶのに適していると思います。

素早く動いていたときには見えなかったものが、留まることによって見えてきます。それは、そこに居続ける人々や、自分と違う方向に動いてすれ違っていた人々の「顔」です。その人の顔をまっすぐ見つめることができたとき、初めて、その人と対話をする条件が整うのでしょう。

研究者としても教師としても、「居場所をもつ」ということは僕にとってひとつの挑戦です。急速に移ろいゆく社会のなかで、あえて留まり続けることがもたらす可能性とは何か、学生たちとともに学んでいけたらと思っています。

日向清人

2010/5/14by hinata
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みなさん、初めまして。日向清人と申します。

<プロフィール>

手塚先生の研究休暇中、つのやんこと角田さんともども月曜マスター代行を務めています。本業はビジネス英語本ばかり書いている怪しい著述業でで、最近では、日本経済新聞からビジネス英語辞典、DHC(旧Daigaku Honyaku Center)から何冊か、それと慶大出版からも法律英語の本を出しています。書店で見かけたら是非お買い求めください(サインさせてください!)。6月には会話分析の研究成果を普通の学習者が応用できるようにしてある、『知られざる英会話のスキル20』という本を出します。
一時、(のちのち日本最大のローファームである「西村あさひ法律事務所」になる)法律事務所やモルガン・グレンフェル、プルデンシャル証券といった外資系金融機関で働いていた経験があり、その点を評価してくださっている買い手が多い感じです。そこで、だめ押しというか、本の宣伝のために「ビジネス英語雑記帳」というブログを書いているのですが、月間ヒット数が10万強とあって更新を怠るわけに行かず、けっこう大変です。
こうした物書き稼業の傍ら、慶應義塾外国語学校(外語)ならびに法学部と外国語教育研究センター(外セ)で計5ないし6コマ、ビジネス英語科目を教えています。具体的には、外語でビジネス英語の通常コースと不定期の短期集中コース、法学部でビジネス英会話とビジネス・ボキャブラリー、外セで経済・金融英語と法律英語です。外語との縁は1991年から、法学部とは1995年から、外セとの縁は2001年からです。

<三田の家との縁>

三田の家との縁が何かと言えば、AOPプロジェクト(慶應に欧州評議会が定めた域内共通の言語運用能力育成・評価モデルであるヨーロッパ共通参照枠を導入しようという試み)を通じて知り合った手塚先生が関わっていると知ったことによります。早い話が、押し掛けアシスタントです。三歳のときに、父(外務省)のイギリス勤務のために渡英し、ロンドンの幼稚園に入れられて以来、「異邦人」経験を何度もしているので、留学生のことが気になってしかたがありません。こういった人々が有意義な滞日経験ができるといいなという思いから手塚先生の「小さな国際交流」を手伝い始めたということです。(ちなみに、小学校の1、2年をシンガポールで、小学校の5、6年を南米エクアドルで過ごしています)手伝っての感想ですが、最初は会話がままならなかった塾生が、三田の家で場数を踏み、英語その他の外国語を話すというのはこんな感じなんだとつかんでいく様子を見て、お手伝いしていてよかったなあと感じています。留学生の方も、右も左もわからないなか、ひとまず足場ができてほっとすると共に、日本人学生を相手に自分の日本語を試すことができ、喜んでいる様子がありありとしています。その一方で、手塚先生の留守を預かって初めて大変さがわかって、手塚先生すごいなという思いも深めています。また、つのやんに井本さん、堀口さん(二人ともオックスフォードで学位を取った人類学の研究者で、井本さんは今年4月から理工で、堀口さんは三田キャンパスのそばのテンプル大学で教えています)という協力者が一緒にやってくれて、助かっているなと感謝しています。もちろん、べべさんやいそPさんにもいろいろと助けてもらっており、これまた感謝。これからは(少なくとも最初の数回は)無料の商店向け英会話など、ご近所づきあいが深まる企画をお手伝いできたらと思っていますので、みなさま、どうぞよろしくお願いします。

上田謙太郎(ウエボ)

2009/7/12by uebo
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スタッフ
<プロフィール>
O型、おひつじ座。神戸市出身、中野区在住。好きな食べ物はじゃがいも、らっきょ。2009年に法学部政治学科を卒業。長編映画を作るのが夢。今は「映像作家」として活動中。ヨーロッパのサイレント映画が特に好き。ルビッチュ、ラング、ムルナウ、ガンス、ドライヤー…。古い白黒の映像を見ると、いつも強い愛を感じてしまう。ピアノ伴奏付きのサイレント映画上映会に行くのが人生の楽しみのひとつ。近頃は「芝の家」でもスタッフという肩書きで、日々子どもたちと遊んでいます。

<ひとこと>
三田の家には2008年の春頃から来るようになって、三田の家を舞台に行われている「うたの住む家」にもそのころに合流。以後、「うたの住む家」のドキュメンタリー映像を作らせてもらったり、三田地域のイベントの撮影をしたり。そんなうちに映像制作を覚えて、最近では三田の家のつながりから映像制作の仕事をもらうまでになりました。でも映像に限らず、いまも三田の家でたくさんのことを学んでいます。僕のテーマは「まなざし」。人や物をよく見ることが大事なのです(もちろん「見る」というのは比喩で、ジロジロ見ればいいというもんじゃありません)。まわりよく見て、そして物事の細かーいところに注目したり、他人にちょっとした気配りをしたり、なにかに気づいたり…。人のちょっとした仕草だとか、古い民家の床のひずみだとか、とりとめもないような小さなことがむしろいいんです。そういえば、あのグルジア人の映画監督も「人生とは小さな遊びなんだ」と言っています。ゆったりとした時間のなかで、ものごとを眺めていれば、そんな「小さな遊び」がいっぱい見つかる。そして、そんなことを、この三田の家に集まる人たちとなんとなく分かち合えたら、良いんではないかと思うのです。

土屋祐子

2008/2/1by tsuchiy
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火曜日担当マスター

<プロフィール>
おいしいものを食べること、飲むこと、人に会うこと、知らないことを知ること、海、非日常的な小説、圧倒的なスケールの自然、そしてやっぱり猫が好きです。仕事では大学に勤めつつフィールドに足を延ばし、メディアと広義な「学び」、オルタナティブな表現活動、その環境づくりについて考えています。

<ひとこと>
「三田の家」には立ち上げの頃から出入りしていましたが、マスターとしては一番の新参者です。「三田の家」の面白さは、これといった定形がないことだと思います。ドアを開けると待っているのは大きなキッチンとガランとしたリビング。ある時は授業が始まるし、ワークショップをやっていることもあるし、お食事会が開かれることも、時には、ただお茶をして話をしているだけのこともあります。言わば、来た人たちによってつくり上げられていく瞬間的な空間です。みなさんもぜひリビングに腰をおろし、日々生まれ変わる「三田の家」づくりに参加して下さい。

坂倉杏介

2007/10/1by
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土曜日担当マスター

<プロフィール>
姓名判断によれば、「大凶。宇宙人。純粋すぎて大人になれない。繊細すぎて世間的には単なる「ヘンな人」。学者か芸術家にならない限り、社会的生活を営むのは難しい。陶芸家を志せば国宝級・・・」なのだとか。自分では、三田の家きっての「常識人」だと思っていたのだが。うーん、常識って何? 本業では、「場」と「芸術の共同制作」について考えています。

<ひとこと>
 今日も、「三田の家」に人が訪れ、去って行く。迎えたり見送ったりを繰り返しながら、ふと、幼い頃、家の近所を離れ、従兄弟たちや誰とも知らない家に連れて行かれた時のことを思い出します。我を忘れて一生懸命遊び、いつもの自分よりもっと自分らしいような時間。だけどそのうち陽も暮れて、帰らねばならない時がきて。去りがたい気持ち、ときどきなぜか泣いてしまう。帰り途、いつもの見慣れた世界に引き戻されながら、身体の芯にじんわり残るあの感覚。大学生になり会社員になると、人生は息継ぎ禁止の潜水50メートル。対岸なんてぜんぜん見えないし、急がないと間に合わない。だけどそもそもゴールって何? という暮らしがなんとなくあたりまえになっているけれど、たまにはぶはっと顔を出し、ぷかぷか浮かんで深呼吸、そういう時間も悪くないんじゃないかな。「三田の家」がみんなの息継ぎの場、帰りに心地よい切なさを感じるような、そんな場になっていくといいなあ、と思います。そして、安心して息抜きをしている人たちの隙間に訪れる創造性を、僕はやっぱり信じたいと思うんです。

熊倉敬聡

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木曜日担当マスター
<プロフィール>
料理好き、ネコ好き。沈丁花の香りに弱い。ユーラシアを横断する旅に出るのが夢。ヨガ歴5年(最近サボり気味)。その前はダンス歴5年。その前は、ぜんそく歴10年。獅子座、B型、いのしし年(年男!)。

<ひとこと>
大学に勤めてはや15年。7、8年前からだったでしょうか、授業、大学というところが、ことさら不自由に感じられてきました。とにかく息苦しい。やりようによっては、ポテンシャルはかなり高いはずなのに、それを十分引き出し切れていない。そこで、自分なりに、ささやかながら、そのポテンシャルを引き出す試みを様々にしてきました。その現在進行形の一つが「三田の家」です。この試みが、単に大学だけでなく、三田という町のポテンシャルをも引き出せるよう、町の人たち、スタッフとともに今後も努めていきたいと思っています。もっといろんな人たちが、もっといろんな使い方を「発明」してほしい。「三田の家」そのものが、無尽蔵のポテンシャルの泉となるように。

岡原正幸

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金曜日担当マスター
<プロフィール>
東京に生まれ、この国の高度成長とともに歳を重ねてきました。学部では経済学、それからドイツで演劇学、大学院から社会学を専攻しています。いまは慶應義塾大学の文学部に所属の教員です。人々の経験する感情についての社会学を25年ほどやってきました。自立する障害者の生活について実地に体験し調べたこともあります。そのなかで感じてきたのは、大学と学問の自家中毒です。予期せぬパワーを集めて、より喜ばしい生をうみだす、そのような人と人との関係の編み出しを模索しています。アートや文化実践への関心はこんなところに根があります。

<ひとこと>
 かれこれ「三田の家」でいろいろな試みをして半年が過ぎました。僕はこの半年間はまず大学の「もの」を引っ張り出すことにしました。まずはゼミナールです。文学部の3年生4年生を中心に40名ほどが参加する僕の担当するゼミを「三田の家」で毎週開催します。サブゼミも含めて金曜の午後はとにかく多くのゼミ生でごった返す状態でした。そもそも僕らのゼミはアートプロジェクトや文化的実践を目指して、書を捨て町に出るゼミですから、内装工事の段階から多くのゼミ生が積極的にかかわり、冬の寒さにも負けず、中心的な活動場所として家を愛用しました。ここでのゼミの議論の白熱度は明らかに上昇しました。つぎに「現代社会論」の受講者にも家を開放しました。この授業では映像制作をします。その際のロケ現場として家は使われましたし、三田祭期間中の完成作品の上映も「三田の家」のリビングで行いました。4日間で200人近くの観客を迎えました。その後も現代社会論のある火曜は昼休みから3時限目にかけて「三田の家」で反省・慰労の食事会が行われました。最後に大学院の授業も家で行いました。月曜の3時限目は修士・博士に在籍する8名の学生とともにこの三田の家で社会運動論をベースにした議論をくりひろげました。院生も「三田の家」での授業を楽しみにしてくれました。こうして従来は大学の内部で行われてきた基本的な作業を外に持ち出すことで、僕をはじめ学生のみんなも、知らず知らずに身にまとっていた「大学」「アカデミズム」のよろいを外せたかと思います。次のステップは、大学の内に外のものを呼び込む、そして、大学の内と外の交差を多様な次元で実践することでしょう。

渡辺久美(べべ)

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日曜日担当マスター
<プロフィール>
慶應スローフードクラブに所属、日吉キャンパスで野菜を育てています。政治学科4年になりましたが、この3年間で学んだのは鍬の使い方と種のまき方。三田の家でのポジションは母。

<ひとこと>
 「三田の家」で出会うのは大学関係者とは限りません。たとえば商店街の方々。家に通うようになってから、商店街に知った顔が増えて、パン屋の奥さんに声をかけられたり、出前中のそば屋さんを見つけてこちらからご挨拶したりするようになりました。お店に顔を出せば就職活動の心配をしてもらって、おまけももらって、一緒にテレビを見て…。それまでは通り過ぎていただけの雑多な街の中に商店街の人たちの生活する姿が見えてきました。三田の家を通してこの街に触れてみたら、私にとっての三田の街が通学路以外の意味を持つようになりました。

手塚千鶴子

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月曜日担当マスター
<プロフィール>
留学生のカウンセリングや、彼らと日本人学生との国際センターの授業で鍛えられ、かつ楽しんでいる自分は、気恥ずかしい。それは、なぜか、クラス会で「変わっていないね」と言はれる時と同じなのである。

<ひとこと>
 こんな私の「三田の家」との半年間のつきあいは、おずおずとした、スローペースでの、留学生と日本人学生との、ささやかなコミュニケーション、居場所づくりの最初の一歩であった。言葉の壁のないコラージュを時にはさみつつ、時どきの話の花を咲かせ、互いにちょっと戸惑ったり、リラックスしたり、刺激や元気をもらう時間が流れた。このプロジェクトには、意図的仕掛けはさておき、参加者達がこの素敵な場を柔らかく共有する時を大事にするという、プロセスへの信頼感が前提である。しかし、実は自分のなかにそれが欠けていたように思う。そこでこれからの一年、まずは腰を据え、この多様で個性的なマスターや学生達、商店街の人達、さらにここに連なる皆さんとの、素足の出会いを積み重ね、一方、積極的な企画にもかかわる時間をつくり、何かが生まれる楽しみと苦労を皆さんと経験して行きたい。

幾代沙緒里

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<プロフィール>
文学部仏文学専攻4年・岡原ゼミ所属。現代思想のインテリな感じにもついていけず、体を張ってアート界隈をふらふら。ダンスを見ること、書くことにも興味あり。「三田の家」では手のかかる子供の様相を呈しています。

<ひとこと>
 毎日同じ電車に乗り、同じ道を通る単調な生活。というのは私たちが勝手に決めてしまった枠組みにすぎないのでした。なんと今年で三田に通って9年目だというのに、「三田の家」に関わってから発見した三田の顔は数知れずあります。クロワッサンのお昼ごパンや、春日神社でホッと一息する時間。よそ見してれば簡単に見つかるものなのに、私はよそ見の仕方も知らずにいたのです。
「三田の家」では、みんなに良い意味でよそ見してもらいたいなと思っています。これからどんな事が起こっていくのか、非常に楽しみです。

増田謙一

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<プロフィール>
梅酒を飲むことと、京都弁が好きなことぐらいしか思いつきません。まぁ実際三田の家ではよく梅酒と仲良くしているわけですが、たまにネットワークの環境を揃えたり、ウェブを作ったりしています。これからはウェブにおける情報発信などに力を入れていくと思いますので、多くの方に楽しんでいただけるコンテンツになればよいなと思っています。

<ひとこと>
 「三田の家」というのはブラックホールのようなもので、ありとあらゆるものを吸収してしまう空間のような気がしています。学生、留学生、教員、研究者、地域の人、友達の友達。そういった様々なバックグランドのある方が引き込まれるように集まってくる。そんな場に惹かれて、今色々な試みに携わらせて頂いています。そう携わっていたら、今度はこの空間から色々な繋がりが生まれ、大学という枠にいた昔では考えられなかった、縁による結びつきという有機的で自然な人間関係が生まれていることに気づきました。そのような可能性があることをより多くの方に伝えていきたいと思い、自分のできる範囲でやれることをやらせていただいています。「三田の家」はまだ発展途上ですが、これからの進展を温かい目で見守ってくださればと思います。

深谷康玄

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<プロフィール>
慶應義塾大学文学部社会学専攻卒。現在は東麻布の「foo(フー)」に勤務。三田在住です。ご近所のみなさんよろしくお願いいたします。よく「いい加減」とか「滅茶苦茶」だとかいわれる僕ですが、いい加減とか滅茶苦茶で一家を成すことができたら素敵だなと思っております。

<ひとこと>
 「三田の家」がオープンしてから半年。おそらく「三田の家」なしには出会わなかったと思われる多くの素敵な方々との出会いがあり、またともに笑い語り合うことができました。「え、それだけ?人と会っただけなの?」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、今まですごく近くにいたのに知らなかった同士が気持ちよく接することができるって実はすごいことだと思いませんか。三田にはまだまだお会いしていない素敵なひとがいると思いますから、そんな方とも「三田の家」でお話がしたいですね。

石渡麻里

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<プロフィール>
「三田家の姉業務」が私のお仕事です。それと、絵描きでもあって、色々な国の色々な場所でライブペインティングのパフォーマンスをしています。理想は永遠のジプシー生活です。2007年秋からスペインに移住するので、遠距離姉となります。
<ひとこと>
 私は子どもの頃から「大人になったら絵を描く仕事をする」と決めていました。「私は絵を描くひとなので」と頑固に決め込んで、まわりが見えず、心と身体が分離ぎみでした。大学在学中に熊倉先生の授業を履修したものの、まったく意味がわからないまま終わった覚えしかありません。大学を卒業して半年、心と身体の幽体離脱が限界を迎えたとき、まるで神のお告げみたいに、熊倉授業の全貌の意味がわかるようになりました。ふしぎふしぎ。そして今に至ります。 「絵を描くこと」と「生きること」がようやくしっくりと噛み合ってきました。「三田の家」との生活も、そのためのレッスンのひとつです。

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2013年10月27日、三田の家はクローズします。これまで本当にお世話になりました。
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